↑
兵庫県尼崎市の電車脱線事故の運転手さんについてですが、
これがまた「ゲーム脳」とかって関係ないようなことをあたかも関連性があるかのようにしちゃってますねぇ・・・
無気力や無感情など「キレる」風になりやすい脳みその人はみんな
「ゲーム脳」なんですか、と言いたい。
というか、「ゲーム脳」という言葉そのものがおかしいです。
http://www.tv-game.com/column/clbr05/
↑
こちらでもゲーム脳に関する批判がなされていますが、まあ確かに大学教授などが書いたものならつい信用してしまいますよね、わたしたちはそういうのに弱いですから。
「テレビゲームをやっているとβ波が出ない」とか「視覚を司る後頭葉しか働かなくて、論理や情動、思考を操る前頭葉は全然働かない」なんていいますが、んなこたあないでしょう。
つーか何のジャンルのゲームでどんな状況でなのかも明かさずに
テレビゲームをするととひとくくりにするのはいかがなもんか。
シューティングゲームや格闘ゲームなんかは、パソコンもビックリなくらい「次はこうして、もしこうなったらこうして・・・」とゲーマーの脳はフレーム単位(1フレーム=60分の1秒)で高速処理を行っています。
つまり前頭葉もバリバリフル活動ですよ。
それに、探偵者の推理ゲームならなおさら働きます。
RPGだって、アイテムを探したりダンジョンの出口を探したり、と色々思考が働きますよ。働かないのは
ボタン連打でレベル上げやる時ぐらいじゃないでしょうか
そうやってよくわかってないのに「ゲームはヤバイ」なんて思っている方はちゃんと考えているんでしょうか?
「じゃあむしろ映画などの方がRPGと違って鑑賞するだけなのでヤバイんじゃない?」とかって考えたりしないんでしょうか?
「そっちは昔からの芸術だからいいんだ」なんて思っている人は偏見のメガネをかけていませんか?日本のゲームは外国よりも遙かに優れた誇れる芸術なのです。
ゲームがダメだというのなら「車の免許を取り直す時のシミュレーター」や「飛行機のパイロットが訓練するシミュレーター」も否定することになります。
ゲームというものは「現実には起こり得ないもの、又は現実に起こってしまうとマズイもの(地震や飛行機などの操縦ミスなど)」に備えるためのものだと思えばとても有効な媒体となるということを考えなければなりません。
例えば人が少し暴力表現があり、人が死ぬゲームがあったとします。
ですが、普通は「こんなので人は死んでしまうのか。怖いな?、だから気をつけなくちゃ」というように、むしろ勉強になるはずです。
「そんなので人は死ぬのか。本当かな?僕も試して見ようかな。とか「面白いな?。僕も殺してみたい」とか思うやつは、ゲームが原因なんじゃなくて「もともと自分の内側にそういう感情がある」ということです。
もちろん人間だれでもそういう感情はあります。それを「ゲームで表現されているんだったら僕も現実に実行してもいいんだな」とか勘違いしてるだけです。それで逮捕されたときには「○○○のゲームのせいで興味が湧いた」とかって言えば自分からゲームに責任転嫁できるのですから。
ゲームがダメだって言うなら、ゲームの絵じゃなくて現実に人間が人間を殺すサスペンスドラマとかの方がよっぽど悪影響があるのではないか?とかって疑問に思ったりしませんか?
「木を見て森を見ず」です。
自分たちに都合のいいことだけしか考えず、自分たちもその恩恵を受けているとも知らず、一方的に攻撃対象を定めけしかける。
これが差別や偏見にいつも存在しています。
まあそれが人間ですし、その過ちに気づき、反省してきたからこそ人は成長してきたとも思いますが。
ですが、そのために不当な攻撃を受ける犠牲は払わなければならない、どうしても存在してしまう、とあなたは思いますか?
長い戯言につきあってくれた方、お礼申し上げます
スポンサーサイト